煙草を吸ってはいけないような気がしたのだ。 健康を考えてのことではなく、自分は恐らく未成年であろうから法律を遵守しようと思った為でもない。 「……」 リビングのテーブルに放り出された煙草を横目で見やる。ライターはない。バイトに出かけた同居人は、ライターだけ持って煙草を忘れて行ったのだ。カートンも切れ掛かっていたことだし、今頃新しく買ったセブンスターを咥えているだろう。 時任は、久保田が煙草を取り出して吸う様を、とても簡単に思い浮かべることが出来る。 頼りない紙のパッケージから、骨ばった手が煙草を取り出す。それはとても自然な動きだ。きっと吸おうと思うことすら忘れているに違いない。 煙草は、久保田の領域だ。 たかが煙草に領域も何もないのは承知の上だが、時任の中にはそんな意識がある。何故だろうか。自分が煙草を吸わないことを、久保田から求められているような気もしている。あれは自分が触れてはいけないものだ。 実際の所、興味はあるが、興味以上のものはない。 日ごろは煙いだの部屋が白くなるだのと文句をつけてはいるが、実はあまり気にならなくなってきている。 (久保ちゃん、気付いてんだろなァ) 文句を言っても、彼は煙草を消さなくなった。 面白そうに笑って、ごめんね?と例の口調で謝って、それで終わりだ。時任もそれ以上しつこく文句を言わなくなった。 彼と暮らすように鳴って随分経った。互いに許容するタイミングのようなものが、分かって来た気がする。ふっと波があって、こうしたいと思うことがとても簡単に伝わる瞬間があるような気がしている。その反面、どうしても伝わらない部分も分かって来た。 (…って、男同士で分かり合い過ぎるってのもどうだっつー話だよ) ただ、久保田の内面の色々を想像できるようになったのは確かだ。 それが厭ではない。 「とか言ってるのもどうなんだ…」 どうやら自分は相当退屈しているらしい。一人で同居人との関係の変化についてあれこれ考察するのは、健全な男子としてあまり嬉しくない。 どこかに出かけるかと考えたその時、鍵の開く音がした。久保田の帰宅予定にはまだ少し時間があるはずだ、と眉根を寄せる。しかし入って来たのは確かに久保田誠人であった。右手には見慣れたコンビニエンスストアのビニール袋を提げている。予想通り、薄いビニール越しにセブンスターが1カートン入っているのが透けて見えた。 「ただいま」 「早いな」 「先方の都合でキャンセル」 「ふうん」 忘れていった煙草の横に、ビニール袋が置かれる。昼食用だろうか、いくつかカップラーメンが入っていた。 そのまま久保田の手は横に移動し、煙草を取る。そして一本引き抜いて、それと殆ど同時に左手でコートのポケットからライターを抜き出す。 「……」 久保田が煙草に火をつけるまでの動作を、時任は少し懐かしいような、見慣れない様な気持ちで見つめた。彼の不在はたかだか数時間の話だったというのに。 「何?」 「…煙い」 「ごめんね?」 「諦めてっから、いいけど」 「言うと思った。帰り道、考えてたんだ。何か俺、結構お前の考えとか行動を予想できるようになったなぁって」 「他に考えることねぇのかよ」 「ほんとにねぇ。…でもまぁ」 煙草の匂いの残る掌に、頭を撫でられた。 「厭じゃないけど?」 素直すぎる彼の言葉に、流石に文句が浮かばなかった。 「俺も、久保ちゃんの考えること分かるようになったなって思ってたんだけど」 「奇遇だね」 「やっぱ無理だ。つか撫でんな! 俺は猫かっつーの」 半分怒鳴るような調子でそう言うと、意外に素直らしい同居人は返事に詰まった。彼が何故返事できないのかは分かってしまって、ますます腹が立った。 彼が自分を拾った時、本当に猫を拾うような気持ちだったということを、時任は知っている。 「そんな顔すんなよ。俺、ちゃんと分かってるからさ」 猫よりは、頼られている。それも分かっているから、気にならない。 久保田は暫くの沈黙の後に、煙草を灰皿に押し付けた。 「昼飯、食いに行くか」 「カップラーメン買ってきてんじゃん」 「お前、退屈してるでしょ」 「……」 そう言えば、と思い出した。言い当てられたのは癪だが、それに文句を言えば久保田の思う壺のような気がするので黙って立ち上がる。 「そろそろ新しい店開拓しねぇ? 美味いラーメン屋とか」 「大通り少し外れた所に、いい感じの古い店があったなぁ」 「ぼろい店って美味いか不味いか両極端じゃん」 「そのくらいでかい賭けのほうが面白いっしょ」 そんな遣り取りの果てにたどり着いたラーメン屋は、見事に不味かった。 |
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